能登に派遣された先生からのオハナシ
戦略広報課です。
能登半島地震が起きて3か月あまりが経過しましたが、北陸地方では日常が戻ったとはいえない状況が続いています。子どもたちも同じです。実家を離れ、避難をしている生徒も大勢います。
東京都はこのような生徒たちの学習支援などをするため、教員を避難先に派遣しました。
教育庁指導部所属の鈴木悠平さんもそのうちの一人です。鈴木さんに今回の支援の様子を教えていただきました。
地震から一か月後
鈴木さんが石川県白山市を訪れたのは2月5日から9日まで。金沢駅から車で1時間くらいの場所です。
寒さが厳しく、朝の気温は零度前後。到着した日は吹雪だったそうです。
鈴木さんは、輪島市内から白山市に避難している中学二年生の英語の授業を担当しました。他の教科の補助にも入り、給食の時間や体育館活動の見守りなどもしました。
そんな鈴木さんが教育実習でお世話になった学校は、東日本大震災の際に、津波で流されてしまったそうです。
「こういう災害があったときは何かしら役に立ちたいと思っていました。この派遣の話を聞いてすぐに手を挙げました」
懸命に暮らす中学生たち
「実際に会ってみると、考えていたよりも生徒たちは明るく過ごしているという印象をもちました。一人1台のPCや教科書・教材が用意されていたり、不自由なく生活できていたりするように見える面もありました。でも一緒に学校生活を送る中で、家族から離れて生活していることによるストレスを抱え、『いつ戻れるのか、いつ終わるのか』がはっきりしない中で、中学生なりに懸命に生活しているのだなと感じました」
生徒たちは学校近くの宿泊施設で生活し、バスの送迎で学校に通っています。
「集団生活の中で、体を動かす時間や場所の制限があるため、みんなが少しずつ我慢をしながら頑張っているんだなと感じました。大変な状況の中でも、一人ひとりが、運動や友人との談笑など、自分なりの息抜きの方法を探しながら、不慣れな土地や環境で一生懸命に生活しているという思いが日に日に強くなりました」
大変な経験をした生徒たちと接するとき
「派遣初日に現地の先生方から『地震と家族の話はしないように』との話を受けていたので言葉には気を付けました。生徒から地震の話をしてくることはあまりなかったです。みんな一見元気そうなのですが、時々『あの日、お昼は食べたけど、夜ごはんは食べられなかったんだよな』とつぶやく子がいたり、グーグルマップで自宅があった場所を見ている子がいたりして、その子は何も言わないのですが、帰りたいんだろうなと思ったりしました。ですから生徒の近くで過ごす時間を少しでも多くし、寄り添うことを意識して接するようにしました」
現地の先生を助けるためにも
「先生方は日々の学習指導や生活指導に追われています。それに加えて、支援物資の受け入れなど、避難先特有の業務があり、多くの場合、その仕事は現地の先生がしています。学校の業務に加え、さらに時間を割かれているように思いました。先生たちが、少しでも余裕をもちながら指導に当たることができるよう、支援していくことが大切だと実感しました」
自分ごととしてとらえる
鈴木さんは戻ってから輪島市に関するニュースをよく見るようになったといいます。
「避難している子たちの情報も気になります。いまわたしは管理職候補なのですが、自分の担当する学校の生徒が避難することになったら、とか、受入先になったら、ということを考えるようになりました。現地に行ってみないと自分のこととして捉えないので、実際に行って話を聞いたり、見たりすることが大事だと思いました」
今回、他県から支援に来た先生たちとも交流がありました。
「宿が同じだったので夜ごはんなど一緒に食べながら、子どもたちの支援について話し合ったりしました」
災害は起こってほしくはありませんが、実際に発生してしまったとき、このような全国的支援は被災地の先生たちにも心強いものでしょう。また、私たちもこうした支援を通じて、自分事として捉えることができる、と鈴木さんのお話を聞いて思わされました。