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祝!鉄道開通150年

広報広聴課です。
今年は日本ではじめての鉄道路線が開通して150年。
これを記念して、7月25日~9月20日「東京の鉄道と地域~鉄道開業150年記念」が東京都公文書館で開催されました。
当時の画像や公文書など貴重な資料で、東京の鉄道に関するトピックを取り上げ鉄道の発展をたどる、という内容です。このnoteにもけっこうな頻度で鉄道関連のトピックが出てきます。鉄、鉄子じゃなくても鉄道ってオモシロい!(と思う時点ですでに鉄なのか・・)
知らなかった、見逃した、という方、見たけどもう一度、という方のためにも、企画展をダイジェストでご紹介します。


まずは鉄道開業 新橋―横浜間

明治5年9月12日、新橋―横浜間鉄道の開業式が開催されました。この鉄道は芝浦から高輪にかけ海の上に堤を作り、その上にレールを通すという珍しいもの。こうなったのには理由があります。

当時の新政府内の黒田清隆、西郷隆盛など鉄道敷設に反対の声が多かったこと、また軍備の充実を優先したい兵部省が鉄道用地の引渡し、測量に反対したことなどがありました。
速やかな鉄道敷設を目指したい大隈重信は「それなら海の中を引っ張る」と決断。こうして堤の上に線路が作られたのです。

1 大隈重信肖像
2「東京名所図会 高輪の海岸」

上の絵をよく見ると線路の途中には橋が設置され、船が通行できるようになっています。漁師や船で物を運ぶ人など、海で生きる住民の不安や抗議に対処したのです。立ち退きや埋め立てで海浜への道を閉ざされる人たちへの補償問題など、数々の困難を経てようやく9月9日、鉄道開業祝典開催が決まりました。しかし、この日は大風雨で延期。9月12日、新暦の10月14日に開催され、この日が「鉄道の日」となりました。

馬車から電気の鉄道へ

3 旧新橋駅『東京府写真帖』より

明治5年に開業した新橋駅が後ろに見えます。手前には明治15年に開業した馬車鉄道が走ります。この写真は明治20年代頃の撮影と言われています。
明治の初めは交通といえば人力車や乗合馬車。そのあとがいよいよ鉄道です。明治15年、道路にレールを敷き客車を馬にひかせる「馬車鉄道」が新橋ー日本橋を走りました。電気で走る「電車」が認可されたのは33年。そして37年、東京電車鉄道・東京市街鉄道・東京電機鉄道の3社がそろい、市街鉄道が本格的にスタートしました。

4 市街鉄道3社 車両画像と片道乗車切符

多摩地域の鉄道

現在の多摩地域を走るJR中央線・青梅線・五日市線・南武線・横浜線・京王線・西武線などは、かつて石灰石、砂利などの建築資材、また貿易品だった生糸などを運ぶために作られた民営の鉄道でした。
最も早く開通したのは明治22年、八王子―新宿を結ぶ甲武鉄道。これが現在のJR中央線です。甲武・・しぶい名前です。
このあと、次々に青梅鉄道(現・JR青梅線)、横浜鉄道(現・JR横浜線)が開業。もう廃線になりましたが、国分寺―下河原間を結んだ東京砂利鉄道といった鉄道もありました。

5「東京府管内全図」

明治34年の東京府の地図。明治26年(1893)に三多摩地域は神奈川県から東京府ヘ編入しました。
この地図には甲武鉄道(明治22年開通 現JR中央線)、青梅鉄道(明治27年開業 現JR青梅線)が描かれています。

大正・昭和に入ると住宅開発や観光をターゲットとした鉄道が登場します。
大正2年の京王電気軌道(現・京王電鉄)をはじめ、五日市鉄道(現・五日市線)、南部鉄道(現・南武線)、多摩湖鉄道(現・西武多摩湖線)などが敷設。昭和2年には高尾山の高尾索道(ケーブルカー)が開業するなど多摩地域に鉄道網が作られていきました。

6 多摩川の鉄橋を渡る京王電車 『東京府写真帖』より


7 多摩御陵・高尾山参拝近道を看板に掲げる新宿駅 『東京府写真帖』より

都市の発展と鉄道

20世紀初めから産業の発展とともに東京の人口は増え続けました。特に増加が著しかったのは都市近郊の農村地域でした。鉄道の沿線を中心に住宅地が開発され、郊外に街ができていきました。郊外に住む人たちが通勤や通学に鉄道を使うようになり、新宿など都心ターミナル駅の利用客も増えていきました。

8 理想的住宅地案内(田園都市株式会社)
東京近郊の住宅開発を行った田園都市株式会社は現・東急電鉄の起源。
『各所住宅地計画実例』より
9 私鉄各社の沿線案内リーフレット

東京市内の交通にも変化が生まれます。新しい交通として地下鉄建設が始まったのです。昭和2年、東洋初の地下鉄が浅草―上野間で開業。その後も地下鉄は増え続け、東京の主要な交通へと発展しました。

10 地下鉄銀座線の始まり 
絵葉書「最近特撰 豪華原色版 大東京五十景 GREATER TOKYO」

市電から都電へ

明治44年、東京市は東京鉄道株式会社を買収し、路面鉄道事業の市営化を実現しました。同時に東京市電気局が開局。のちの交通局です。
明治後半以降、東京に人口が集中。交通需要も加速していきます。市電の乗客数は大正6年度に81万2千人だったのが、5年後には131万4千人に。通勤通学のラッシュは激しくなっていきました。

11 ラッシュの様子が絵葉書でわかる 絵葉書「東京市電車」
12 当時の市電片道乗車券 東京市電気局 5銭

震災や戦災を経て

そんな中、12年に関東大震災が起こり市電も大きな被害を受けます。車両779両が消失し軌道の通る橋26が破損しました。

13 関東大震災 永代橋の惨状 『大正12年9月東京府大震災写真帖』より
14 震災で焼失した市電の車両

昭和18年、東京府・市が廃止され東京都制が敷かれました。
東京市電気局は東京都交通局に改称。都電が誕生しましたが、その直後、戦災によって壊滅的な被害を受けます。

15 瓦礫だらけの銀座を走る都電

戦後の復興と東京への人口集中の中、都電は系統を増やしていきます。41系統の都電と4系統のトロリーバスが都民の足として走りました。

16 自動車の渋滞に巻き込まれ立ち往生する都電

その後自動車の普及による渋滞や私鉄・地下鉄・バスの普及で都電は順次撤去されていきます。現在の「さくらトラム」の愛称で呼ばれる都電荒川線は、大部分が専用軌道であったため一部撤去にとどまり、いまも路面電車として活躍しています。

17 昭和44年の電車案内図
18 現在の「さくらトラム」

ざっとではありますが東京の鉄道の歴史を駆け足で見てきました。
ちなみにこの企画展を実施した東京都公文書館は昭和43年に開設。現在は国分寺市にあります。
東京の歴史的資料として重要な東京府・東京市の公文書、江戸期の古文書、視聴覚資料などが保存されています。デジタルアーカイブも充実しているので、ぜひのぞいてみてください。

画像所蔵元
サムネイル 「東京新橋鉄道繁栄并高輪遠景」 東京都公文書館蔵
1~2 国立国会図書館所蔵
3、6、7、8、10、13 東京都公文書館所蔵
4、11、12、14、15、16、17、18 交通局所蔵
5、9 個人蔵

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