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知らない文化財 まだまだたくさんあるんだなあ

戦略広報課です。
自分の中で毎年恒例になってきた文化財ウィーク。今年もいままで行ったことがない、知らなかった文化財にお邪魔してきましたよ。

子規庵

まずは俳人・正岡子規の旧居・子規庵。JR鶯谷駅から徒歩5分程度で着きます。俳句に詳しくない方でも「柿くえば鐘がなるなり法隆寺」はご存じなのではないでしょうか。その作者が正岡子規です。子規は故郷の愛媛県松山市から母と妹を呼んでこの家に住みました。肺結核を患い、34歳の生涯を閉じたのもこの子規庵です。子規庵には俳人の仲間たちがたくさん集まり、句会や歌会もよく開かれていました。

また大学予備門(東京大学の予備機関)から親交のあった夏目漱石や森鴎外も子規庵を訪れています。子規の没後は母と妹が子規庵を守りました。関東大震災は免れましたが、昭和20年の空襲で焼失してしまいます。
しかし復元と保存を切望する寒川鼠骨(さむかわ そこつ)など弟子たちの尽力で、昭和25年にほぼ当時のまま再建されました。現在はボランティア活動によって維持・保存が行われています。

子規の句によく登場するへちま。この夏も大きなへちまの実が育ちました。子規もこの庭を眺めたのでしょうか・・。

「子規庵でお花を活ける」イベントで来られた生け花の渡辺瑞春先生。お弟子さんと一緒にへちまで、のれん風の飾りを作っているところ。このように、いろいろなイベントなどで子規庵を活用し、子規庵の保存支援につなげています。奥の生け花もゴージャスでしょ=。

できあがりはこちら。ステキですね~

縁側でお弟子さんがお花を生けています。

こんなステキなお花も生けられていました。

子規が記録した毎日の献立を、ボランティアが実際に調理して再現しまとめた「食べもの帖」

根岸の指物師に作らせた子規の座机(複製)。子規は左足が曲がり、伸ばせなくなっていたため、立てひざを入れる部分をくり抜いて作られました。ここで書き物をしたのでしょうね。

子規庵保存会

三岸家住宅アトリエ

二つ目はこちら。中野の閑静な住宅地の中に三岸家住宅アトリエがあります。ここは画家三岸好太郎・節子夫妻のアトリエで、昭和9年に建築された都内でも希少な戦前の木造モダニズム建築です。
好太郎は北海道の出身ですが、上京し独学で洋画を学びました。東京で暮らしていた好太郎は、当時向かい側にあった、かやぶき屋根の農家を気に入り、ここにアトリエを建てようと土地を購入しました。そして自らデザインし、ドイツ・バウハウスで学んだ友人の山脇巌に設計を依頼しました。
残念なことに好太郎はアトリエの完成を見る前、31歳の若さで病気により亡くなってしまいます。その後、同じく画家であった妻節子がここを住宅兼アトリエとして使いました。

大きなヒマラヤスギが目印の三岸家アトリエ
敷地内にある赤いドア。どこに通じているのだ?
アトリエの吹き抜け。螺旋階段で二階に
照明好きとしては見逃せない雰囲気のあるライト。木のあめ色とマッチしてかっこいい
中庭からみたアトリエ

現在アトリエはレンタルスペースとしても運営しています。撮影などに使われることもあるようです。その収益は建物の維持管理や修復に充てられています。
来場した女性は「三岸好太郎の絵が好きで、札幌にある北海道立三岸好太郎美術館にも行くことがあります。今回文化財ウィークでアトリエが公開されているのを知って来ました。感激です」と話してくれました。

三岸アトリエ運営事務局

練塀(ねりべい)

次は港区にある廣度院に行きました。ここで「練塀(ねりべい)」を見ることができます。「練塀」というのは伝統的な方法で構成する「土塀」のことです。江戸時代には、江戸城をはじめ、寺や神社、武家屋敷、そして増上寺の境内中にもありました。

廣度院

右側の塀が廣度院の「練塀」。奥に見えるのが増上寺。
練塀は表門通と参詣するときに通る御成道に沿い、40メートル以上にわたって続いています。

「廣度院練塀」の断面

瓦が沢山入っています。壁面も内部にも瓦と土が交互になっているのがわかります。練土をアーチ状に形成し、瓦をふんだんに乗せています。土に染み込む水分を瓦が吸収分散するので、練土は数百年たった今も硬くて頑丈です。

東京都立中央図書館所蔵『江戸城造営関係資料集』の「練塀」の図。練塀の構造がわかります

赤くなっている瓦は、江戸時代、火事の火にあたったからだそうです。
「練塀」は地震や火事に強いといわれています。関東大震災でも崩れなかったのは、練土の強度と、間知石(けんちいし)と呼ばれる基礎の石がしっかりと積み上がっているからと考えられています。

東京大空襲の際は焼夷弾の火にあたり続けたため、境内側の壁面には赤茶けた瓦がたくさん見えます。地震や戦火もくぐり抜けてきたのですね。

いろいろな願いをこめた瓦寄進

修復のため一旦取り出した江戸時代の瓦に、皆さんの想いを書いてふたたび練塀の中に戻します。練塀内部は、瓦も土もリサイクルなんですね。
 
廣度院では12月31日の大晦日、20時~元旦の深夜2時まで、練塀ライトアップがあるそうですよ。
廣度院・公式情報サイト

旧安田楠雄邸庭園

最後に訪ねたのは文京区千駄木にある旧安田楠雄邸庭園「豊島園」の創始者で実業家の藤田好三郎によって1919年に造られた、大正時代の技術を取り入れた近代和風建築です。その後、旧安田財閥の創始者・安田善次郎の女婿・善四郎が買い取り、安田家の所有となりました。こちらも関東大震災と戦火を免れ、つくられた当初からほぼそのままの姿を残しています。現在は公益財団法人日本ナショナルトラスト(JNT)が所蔵しています。

邸宅正面玄関

邸内で唯一の洋間である応接間。当時の家具も修復して置かれています。なんとカーテンは建築当時のもの!

昭和4年の楠雄氏の結婚を機に改造された台所。「アイランド型」キッチンは当時の最先端。昔のガスレンジ(手前)や木製冷蔵庫などがありますね。

長~い畳の廊下。邸宅が奥に長~いのがわかります

旧安田邸ではこの文化財ウィークの期間と合わせて、能登半島地震によって被害を受けた能登応援企画として「能登・七尾 一本杉通り 花嫁のれん展」を開催しました。
「花嫁のれん」は幕末から明治にかけて加賀藩の領地で始まった婚礼の風習です。結婚する娘の幸せを願い加賀友禅でのれんをあつらえました。

世界で一枚の「花嫁のれん」

石川県七尾市は今も「花嫁のれん」の風習が残る地域で、市内の一本杉通りでは毎年花嫁のれん展が開催され、商店や家々に100枚以上の「花嫁のれん」が飾られていました。
しかし先の地震で一本杉通りも大きな被害を受け、今年は中止に。そこで七尾市に興味を持ってもらう、また七尾を訪れてもらいたい、という思いを込め、旧安田邸を会場に花嫁のれん展を開いた、という次第なのです。

花嫁は結婚式の日、実家の家紋の入った「花嫁のれん」をくぐり、その後式が始まります。

震災前、七尾の鳥居醤油店に飾られた花嫁のれんを見に来た人たち(画像提供:鳥居醤油店)

以前、七尾に花嫁のれん展を見に行っていたというお二人。「七尾が地震の被害を受けて心を痛めています。復興のために何かしたい」と話してくれました。
旧安田楠雄邸庭園(公財)日本ナショナルトラスト

今年の文化財ウィーク、いかがでしたか?今回は能登の復興のための企画などもあり、こういう取り組み、いいなあと思いました。来年もまた楽しみにしてますね~
東京文化財ウィーク2024